Regional Scrum Gathering Tokyo2023 の中の moyiyuya さんの「私考える人、あなた作業する人」というセッションが大きな反響を呼んでいました。
スクラムを導入してチームとして一体感をもってプロダクト開発をよりうまくやっていきたかったはずなのに、いつの間にか「私考える人、あなた作業する人」という関係性ができてしまっていた、という相談を受けることがあります。
なぜこのような「私考える人、あなた作業する人」という関係性が生まれてしまうかについて、コミュニケーションの観点で考えてみます。
プロダクトオーナーと開発者の堺目
「私考える人、あなた作業する人」のような関係性が生まれてしまっているチームでは、開発者からプロダクトオーナーに対するコミュニケーションが以下のようになっていることが多いです。
- プロダクトバックログを出してくれたらつくります
- 仕様を決めてくれたら作ります
- フィードバックをくれたらその通りに修正します
- 次のスプリントで取り掛かるバックログを決めてください
それぞれを見ると、必ずしも悪いコミュニケーションだとは言えません。各役割の責任を真面目に解釈して、その通りに実行しようとするとこうなるでしょう。
このようなコミュニケーションでも、ドメイン知識やスキルをもった人格者のプロダクトオーナーであれば仕事がうまくまわっていくかもしれません。ところが、プロダクトオーナーがそのドメインのプロダクトをつくる経験がなかった場合はどうでしょうか。あるいは、ITやプロダクト開発の経験が豊富でない場合はどうなるでしょうか。
おそらくわからないながら、仕事を進めるために最終的には決めてくれることでしょう。もちろん決めたことに自信があるわけでも、確証があるわけでもありません。求められた仕事に対してマジメに取り組んだ結果としての決定です。
これを繰り返していくと、
- わからないけどとりあえず決める
- わからないけど答える
- わからないけど言われてから考える
- わからないけどなにかコメントをする
というコミュニケーションに慣れていきます。人間は「慣れる」という特性を持っているので、これがプロダクトオーナーとしてのふるまいだと信じて、マジメに仕事を遂行していくようになります。
こうして出来上がるのが、「私考える人、あなた作業する人」です。さて、誰が悪かったのでしょうか。
コミュニケーションの方向を見てみる
「私考える人、あなた作業する人」になってしまうのは、特定の誰かが悪かったわけではありません。たいていの場合、全員がマジメに仕事に取り組んだ結果です(ある意味だからこそタチが悪い)。
このときのコミュニケーションの方向を見てみましょう。
先程の例では、プロダクトオーナーと開発者が相対してコミュニケーションをしています。開発者が求めたことにたいして、プロダクトオーナーが答える。コミュニケーションの向き、すなわち仕事をする向きが、相手の方向を向いてしまっています。
よりよいプロダクトをつくるためには、プロダクトオーナーも開発者も同じ方向を向いて仕事をする必要があります。それぞれが相対してコミュニケーションをするのではなく、同じ方向(プロダクト)を見ながらそれぞれができる貢献をしていくのがスクラムです。
役割と責任を結びつけて書いてあるとおりに実行しようとし過ぎない方がよい、というのは自分の経験知です。教科書通りのスクラムになっているか通りよりも、結果として全体で機能していることのほうがよっぽど重要です。目の前にあるチームやプロダクトの現実を見て、変化に対応していきましょう。
開発者の立場でどうしたらよいのか
とはいえ、具体的にどうすればいいのだろうということを、自分の経験もふまえて最後に触れておきます。
自分は開発者としてプロダクト開発に携わることが多いのですが、同じような場面では以下のような行動をします。
- インセプションデッキやリーンキャンバスを一緒につくる
- プロダクトバックログアイテムの仕様をプロダクトオーナーと一緒に考える時間をとる
- スプリントプランニングで次にやったほうがよさそうなバックログアイテムを一緒に考える
- ユーザーテストを行い、その結果を見ながらどうするかを一緒に考える
相手に求めてそれを待つ、というアプローチをできるだけ避けて一緒に決めるようにします。その中で、お互いの知っていることを混ぜ合い、仕事の進め方を共に学び、少しずつチームの仕事の進め方を収束させていきます。
たしかに、役割に従って自分の仕事に集中しようとすることは一見楽なように思えます。しかし、わからないのに無理やり行った決断がよい結果に結びつく可能性は限りなく低く、その決断の下では仕事に集中することはできません。気づいたら売るどころか誰も使うことができないゴミを作っていた、なんて地獄は見たくありません。
「はやく走れる方が走りまわればいい」とはよくいったものですね。