最近プログラミング経験がない新人にプログラミングを教える機会があって、彼らを観察していると様々な気付きを得ることができる。
最初の頃はプログラミングのプの字も知らなかった彼らが、1ヶ月もすると、 ソースコードを書いて、 クラウド上で動かして、 Migration Fileでデータベースを管理して、 Gitを使ってコードを管理している。 スプリントプランニングをして、 デイリースクラムをまわして、 ふりかえりをして、 スクラムオブスクラムで障害リストを運用している。 もちろんすべてがうまくまわっているわけではないが、既に彼らは彼らなりの改善サイクルをまわし始めていて、学習する組織ができているように見える。 そんな彼らの変化を見ていると、「経験がないからできない」なんてことはとてもじゃないが恥ずかしくて言えなくなってしまった。
人は学んでいくことで自分の可能性にキャップをする
これは自分の仮説だが、人はふつうに働いてふつうに経験を積んでふつうに学んでいくことで、気づかない内に自分で自分の可能性にキャップをしてしまうのではないだろうか。
- これは難しかったからきっとこれも難しいだろう
- これもダメって言われたからきっとこれもダメだろう
- また忙しくなるかもしれないから新しいことをはじめるのはやめておこう
一方でまだ経験を積んでいない新人の彼らは、キャップをしてしまう理由=立ち止まる理由すら持っていないのでとりあえずやってみることでなんとなくできてしまう。「境を越えた」という認識すら持たずに新しい可能性を受け入れて成長をしてしまう。 ほとんどの場合において、はじめる・はじめない、できる・できないはこれくらいの差でしかないように思う。 しかし、そんな新人の彼らも学びを積み重ねていくことで境が見えるようになり、いつしか自分の可能性にキャップをしてしまう日が来るのかもしれない。
自分のキャップをぶち壊す
きっとこれは避けようと思っても避けられないもので受け入れるしかない。 ではどうしたらよいのか。学びを積み重ねていくことでキャップしてしまうのであれば、定期的に自分のキャップをぶち壊す活動をすればいい。
頭のネジが飛んだ人たちに会いに行く
自分は定期的に頭のネジが飛んだ人たちに会いに行くことにしている。 人の話を聞いていて、「おお!」「なるほど!」と頭に刺激を受けた体験が誰にでもあるだろう。この体験こそが自分のキャップをぶち壊す活動だと思う。 意識しているのかどうかはわからないが、自分のキャップをぶち壊し続けて学び続けている人達、頭のネジが飛んだ人達が世の中にはいる。彼らの話はいつも刺激的で、彼らから刺激を受けることで、自分のキャップもぶち壊れていく。
学び続けることでキャップができてしまうのであれば、定期的に壊してしまえばいい。これこそが学習する自分をつくるということなのではないだろうか。 会社の中にいればラッキーだが、会社にいなければ勉強会でもカンファレンスでもいい。
自分に刺激を与えてくれる人をいかに見つけて刺激をもらうのかが学習する自分をつくる上ではとても重要なことだと思う。
ただし、そういう人たちと会うことは得てしてめんd…刺激が強すぎて疲れてしまうこともあるので、自身の体調・心調に合わせて用法用量を守った方がよいかもしれない。
終わりに
ここまで書いていてなんだけど、正直言って全部後付けで、最初から意識してやっていたわけではなかった。けれど、ふりかえってみるとたぶんこんな感じだ。
そして気づいたらまわりには刺激をくれる人であふれるようになった。環境は自分でつくっていくものだなあと改めて思う。
自分自身ももし今後、 立ち止まる理由ばかり見つけて歩みを止めてしまったり、 承認欲求ばかり強くなって承認欲求を満たすことばかりを優先してしまったり、 そんな自分に気がついた時はまわりの刺激を与えてくれる人に会いに行ってみようと思う。