プロダクトをつくる仕事をしていると、
「どれくらいテストしたらよいですか?」
「どこまで考慮したらよいですか?」
「(とあるルール)の範囲ってどこまででしょうか?」
といった問いと遭遇することがある。
ソースコードやデザインのように形として存在するものが成果物である仕事をしている場合、詳細を明らかにしないとできあがらないのでこういう問いをしたくなる気持ちはわかる。
ところが、自分の経験上こういう問いに対して的確な答えが返ってきたことはほとんどない。
プロダクトづくりの世界は曖昧なことだらけ
「問いAに対する答えはBだ!!」のように答えが自明なものであればたいてい最初に教えてくれるし、そうでなくても聞けばすぐに答えが返ってくるので困らない。
ところが、プロダクトをつくるプロセスの中で生まれる問いの半分くらいは決まった正解が見えない曖昧なものであるように感じる。
実際にあった問いの例(脚色あり)を2つ紹介する。
問いの実例①
プロジェクトの後半で、開発がようやく終わりテストフェーズに入ることになった。当初の計画よりもスケジュールが遅れていたため、チームで話し合いリリーススケジュールを優先させることになった。
テストを実施するにあたり、新人エンジニアがプロジェクトマネージャーに、
「どれくらいテストしたらよいですか?」
と問いかけた。
問いの実例②
ハッカソンを実施する時に、情報の取り扱いに関するルールを定めて参加者に予めアナウンスされていた。いざハッカソンが始まってそれぞれのプロダクトづくりが本格化すると、とある参加者が運営に
「(情報の取り扱い関するルール)の範囲ってどこまでがOKなんでしょうか?」
と問いかけた。
すり合わせて合意していく
こうした問いには明確な答えというものが存在しない。人によって、状況によって、あるいは結果によって答えが変化する。プロダクトオーナー、エンジニアリーダー、マネージャー、ハッカソン運営のような判断をする人にとっても、答えが曖昧であることは同じである。
ではどうすればいいのかというと、お互いに歩み寄ってすり合わせて「これでいこう!」と合意するしかないのである。作り手側も判断する側も経験した身として、それぞれの視点でのアプローチを考えてみる。
作り手側から
「はっきりしてくれ」「決めてくれないと作れないよ」と言いたくなる気持ちはわかるが、そんなことを嘆いたところで何も解決しない。仮に強引に決めてもらったところで、実際に作っていく中で辻褄が合わなくなったりして、結局同じ問いにぶつかることも多い。
自分の場合は、そんな雰囲気を感じた時はとりあえず今ある情報の中で作り始めてしまう。作り始めることで、最低限決めなければいけないことやおとしどころがより具体的になってくる。
そうしてできたプロダクトのプロトタイプと溜まった情報を持って行き、ステークホルダーと話す。そうすると、
「どれくらい○○すればよいのか」
という曖昧だった問いが、
「これとこれならどっちですか?」
「これなら実現できますがこれでよいですか?」
と少しだけ具体的な問いに変わる。
結局のところ、曖昧であるということは曖昧である理由が存在するので、見えないものを相手に議論したところで時間がかかる上に建設的な議論になりにくい。それならばたたきをつくることで情報を集め、そこから足し引きをして自分達の答えをすり合わせていく方が早い。
問題 vs 私達の構図を作るのだ。
判断する側から
「そんなこと言われてもわからない」「それくらい考えてよ」と言いたくなる気持ちはわかるが、具現化する最前線にいる人達は最終的にはつくるものを明らかにしないと仕事を終えることができない。
- 彼らが一番情報を持っている
- 彼らがつくることができないと何も生まれない
という事実を真摯に受け止めて、彼らから情報を引き出して、彼らがつくることができる状況を整えることに全力を注ぐという姿勢が必要だ。
とはいうものの、当然ながら決められないものは決められないし、判断できないものは判断できない。であれば、それを素直に伝えた上で、どうすればいいかを一緒に考えて自分ができることからやっていけばよい。
彼らはあなたの妄想を実現する奴隷ではなく、一緒に問題解決をする仲間なのだ。
まとめ
答えが明確な問いは、調べたり知っている人に聞いたり試すことで答えを見つければよいだけなので簡単だ。一方で答えが曖昧な問いは、手も時間もかかってしまう。
しかし、プロダクトづくりは曖昧な問いとの戦いである。曖昧な問いに答えていくことこそがプロダクトを形作っていくのである。なのでどのような立ち場であっても、曖昧な問いを楽しむ気持ちって大事だなって思った。めんどくさいけどね!